頑張れ!たこ入道!

今年の京都は雪が多い。こんな日にたこ入道が開いているとホッとする

「あの人、コロナにかかったんだって」
「どうせ飲み歩いてたんでしょう」
「なんだか、迷惑な話だよね。身近で感染なんて」
「ほんと、気をつけてほしいよね」
「しかし、飲食店なんか、この時期全部閉めちゃえばいいのに」
「ヤクザな商売だよ。社会のことより自分のことだからねえ」
「挙句に店休んで給付金だよ。焼け太りみたいなもんだな」

こんな会話を耳にした。無性に腹が立った。こいつらこそ自分のことしか考えてないと。だいたい、新型コロナウイルスの感染拡大はどこからはじまったかという話だ。

おばんざいにほっこりする

新型コロナウイルスは飲食店や酒場から降って湧いたように現れたのではない。おそらく、客の誰かが店に持ち込んだにちがいない。その客は、まちのどこかで感染したにちがいない。まちへは、この国には、新型コロナウイルスがこの国で生まれたのでなければ、検疫を通り過ぎて入り込んだにちがいない。ということは、検疫が、国の感染防止策がダメだったということじゃないだろうか。それをこの2年間、ずっと飲食店と酒のせいにしてきたのだと思わざるを得ない。

東京五輪フェンシング・エペ金メダリスト宇山賢(うやまさとる)さんと

冒頭の会話をするようなヤカラほど、居酒屋で大声で騒ぐタイプの人間だと、そう思えてならない。確かに、この間も居酒屋のカウンターで、その店の感染防止策を評論しあってるような酔客にも遭遇した。そんな奴は飲みにくるなということだ。そんなヤカラも含めて、ドラちゃんは快く迎え入れて優しく接し続けてきたのだ。その心中を客の一人として思うと、いたたまれない気分になる。たこ入道の去年1年間を振り返ると、通常営業できた日は1日もないんじゃないだろうか。休業したり、時短営業したり……。それでも普段と変わりなく、掃除をし、仕込みをし、当たり前のように客を迎える。

お客さんとカウンターを挟んで
いっぱい並んだおばんざい

第5波で休業に入る前の日などは、大量に仕込んだおばんざいを黙々と捨てていくドラちゃんの姿に胸をかきむしられるような思いがした。そしてこの第6波でも、2月4日から休業せざるを得ない状況になった。2月2日、休業に入るドラちゃんたちを元気付けようと、けっこうな客が集まった。静かに語り、静かに飲み、そして閉店間際、何人かの客は静かにタッパーを出した。おばんざいやおでんを詰めて持って帰るのだ。もったいないもあるけれど、それはきっとドラちゃんや美智子ママの悔しかったり、悲しかったり、腹立たしかったり、やるせなかったりを共有しようという思いに駆られてのことだと思った。そしてまた、元気に店を開けてね、と。

お肌の手入れに余念のないドラちゃん

ドラちゃんにはまた、退屈な時間が訪れる。でもドラちゃんはいつでも客を迎えられるように、準備を怠らない。なんならお肌の手入れまで手を抜かないのだ。頑張れ!たこ入道!

「もったいない」の根っこ

8月1日の夜9時少し前。たこ入道店内に悲鳴のような声が上がった。
「いやあ、もったいない!」
「悲しいなあ……」
「しゃあないやん、なあ」
ドラちゃんがカウンターの上に並べたおばんざいを処分しはじめたのだ。処分!? そう捨てはじめたのだ。翌2日から8月いっぱいまで、京都府からの時短要請、酒類提供の停止要請を受けて、また営業を休止する。その日売れ残って食べきれないおばんざいは、処分せざるを得ない。だからみんな「なんで?」とは言わない。
「ご常連のひとりがタッパーを3個持ってきてわずかでももらってくれたのが救いやった」 1
ドラちゃんはそう言ってため息をついた。

通常営業なら、ドラちゃんは9時を回ると片付けにかかる。まず、カウンターの上のおばんざいを順に火にかけて冷まして冷蔵庫に入れる。空いた器を洗う、台拭きを洗う、そうやって閉店時間が来たら暖簾、看板を入れる。最後に店の掃除を済ませ、翌日の準備を整えて1日を仕舞うのだ。1年通してこれは変わらない風景だ。定休日前日の水曜日の夜でさえ、このルーティンは変わらない。40年以上変わらないドラちゃんのルーティンなのだ。
その場に居合わせた客はその夜の風景を決して忘れないはずだ。なぜそんなことが起きたのか、なぜそうせざるを得ないのか。美智子ママやドラちゃんだって、捨てたいなんて思わないはずだ。客が呟いた「もったいない」「悲しい」「しゃあない」は2人の想いの中に渦巻いていたはずだ。そんな辛い思いを何度か繰り返してきたこの1年半だ。だけど本当に辛いのは、営業を休止しなければならないことだ。

たこ入道では、京都府からの時短要請、酒類提供の停止要請を受けて、営業休止を繰り返してきた。何も考えない人は「給付金もらえていいじゃないか」などという。本当にそうなのだろうか。そういう人はわかっていない。働くことは「金」には代えられないのだ。ドラちゃんは経営者ではない。だが、ひとりの職人、料理人として、自分の人生として、黙々とたこ入道を支え続けてきた。「金」の問題ではない。
前回この欄でドラちゃんの小遣いが減らされたことを書いた。それに対していろいろなご意見ご感想をいただいた。だがその中に、ドラちゃんの小遣いがなぜ減ったのかということに思いを巡らせる声はほとんどなかった。なぜ減ったのだろう……。なぜドラちゃんは、あの文章を公開することに同意したのだろう……。

東京オリンピックの開会式で4000食の弁当が廃棄されたという話題が取りざたされている。この4000食の廃棄とたこ入道のおばんざい廃棄は、全く同列、同質に語られるものではない。前者は廃棄する者になんの痛みも辛さも伴わない、後者は痛みと辛さに満ちている。しかしその両方は同じ根を持っている。政治の無能、不能だ。
たこ入道、ドラちゃんの日常からだって政治を考えることはできるのだ。

美智子ママ、ドラちゃん、頑張れ! 営業再開の日には笑顔で会おう!

ドラちゃんのBlues

南観音山@新町通り四条上る

コロナでもオリンピックでも、京都の夏は暑いねん。この暑さを煽るのが八坂さんの祇園会。去年は神事の執行だけで、山も鉾も建たなかったけど、今年は巡行こそないけれど16日の先の祭りと23日の後の祭りの両宵山に山鉾が建つというので、これはいい機会だと見に出かけた。はっきり言って、オリンピックよりも山鉾が建ったことの方が、僕はうれしい。祭りを支えてきた人たちの頑張りと努力が、完全ではないが報われるのだ。

珍しいJoshinタイガースのTシャツを着たドラちゃん

宵山を見た後、12日に営業再開したたこ入道へ向かう。久しぶりのドラちゃんが笑顔で迎えたくれた。木屋町にもわずかではあるけれど活気が戻ってきたようだ。馴染みの酔客と言葉を交わすドラちゃんと美智子ママの笑顔がいい。あんなに無口だったママが饒舌になっている。はっきり言って、オリンピックよりたこ入道や飲食店の営業再開の方が、僕はうれしい。度重なる緊急事態宣言、まん延防止等重点措置に伴う休業要請、営業時短要請に耐え、頑張ってきた人たちの暮らしが、完全ではないが復活したのだ。

美智子ママの重役出勤

これは祝わなければならない。ドラちゃんとは、僕が京都に帰ると必ず飲む。どこで飲むかは別だが、たこ入道の定休日に必ず飲むのだ。そこには必ずドラちゃんの奥さんみゆきちゃんも一緒だ。他にも何人か限られた友人が集まり、ヘロヘロになるまで飲むのだ。ん?みんなが? 違います。みゆきちゃんが、だ。

上下スヌーピーのお2人

みゆきちゃんは反則だ。はじめて僕の写真展に夫婦で来てくれた時、ピンクハウスみたいなひらひら乙女チックな服を着て、超ブリな雰囲気を醸し出していたのに、これがお酒を飲みはじめると爆裂してしまうのである。これは反則だ。チョークプレーだ。僕らは何も被害を被らないが、その爆裂はすべてドラちゃんに向かう。この間も2人はスヌーピーのペアルックで現れ、ラブラブバブルに包まれていたが、バブル崩壊までにそんなに時間はかからなかった。まるでオリンピックだ。

スリーパーホールドから……

みゆきちゃんは厳しい、らしい。ドラちゃんの小遣いは、先だって3万円から2万4千円に値下げされた、らしい。それでもみゆきちゃんの気に入らないことがあると1回につき1千円の罰金を取られる、らしい。それでもドラちゃんはニコニコ言うことを聞いている、らしい。あの、たこ入道のカウンターの中で寡黙に働いているドラちゃんと同じ人だとは思えない。
「厳しいな」と僕が言う。
「うん」ドラちゃんは小さく答える。
「それでも大好きやもんなあ」みゆきちゃんがドラちゃんに抱きつく。
それはやがて格闘に発展するのだ。まるで、伝説の大仁田厚と船木誠勝の電流爆破デスマッチだ。

翌日ドラちゃんに聞いた。
「昨日の写真で高瀬川BLUES書いて公開していい?」
「どうぞ」
「捨て身やなあ。と言うかブルースやなあ」
「ふふふ」
でもそれくらいの根性がないと、こんなに苦労が多い商売はやってられないのかもなと思った。
〈4年間頑張ってきたアスリート達が感謝の気持ちを込めて感動を振りまく〉がオリンピックだそうだ。
僕はこの際アスリート達よりも、命を削るようにして耐え忍び頑張ってきた飲食業界の人たちに心からのエールを送りたい。

気ぃつけや

数日前の昼下がり、ドラちゃんから2枚の写真が届いた。何だろうと思ってモニターをのぞき込む。んっ!?地図か……。ソファかベッドか、ひろげられた2枚の地図。1枚には”ROME”という文字とイタリアの国旗が、もう1枚には”ROME ANTIQUE”と入っていた。どうやらローマの今の地図と古地図らしい。なんでまた……、と目を凝らした。

ROME

すると追いかけるようにもう1枚。2枚の地図が並べられ、その傍に”HISTORY OVER TIME PUZZLE”と入った箱が添えられていた。ようく見ると平板の地図はジグソーパズルらしい。その上にコロッセウムやバチカンなどの立体模型が乗っている
「ぷっ。ドラちゃんこんな趣味があったんや。しかっし、ヒマやなあ」
笑いそうになってハッとした。ドラちゃんはヒマなんだ……。追いかけてメッセージが届いた。
〈暇つぶしに作ってみました。ルーペを片手に悪戦苦闘です〉
と。確かにルーペらしきものも写っている。

ROME ANTIQUE

ドラちゃんは何も語らない。だけどおおよそ飲食業に携わる人の思いは同じだろう。ある大将は言った。
「緊急事態宣言とかまん防とか、これが延々と続いたら本当にきつい」
ある女将は言った。
「時短要請で酒類の提供が7時までとかだったら、開けてても商売にならないわよ」
またあるバーテンダーは言った。
「なんで飲食業ばっかり……。なんで俺らばっかり」

掃除の合間に訪ねてくれた電気屋さんと

ドラちゃんもきっと同じようなことを思っているに違いない。
でもドラちゃんはそんな愚痴は言わない。いや、1度だけそんなふうなことを聞いたな。
「店は休んでても、毎日出勤はしてるよ。けどね、掃除ばっかりしてても、もう掃除するとこないし。カウンターばっかり拭いててもお手上げな感じやね」
そうして毎日出勤が3日に1回になった。
「掃除するとこないし、空気の入れ換えして、排水溝の掃除して……。しゃあないな」
ドラちゃんは、ふふっと笑った。

ふたたび写真が届いた。右手の薬指が包帯でぐるぐる巻きになっていた。メッセージが添えられていた。
〈下水掃除のときにフタで指を挟んでしまいました。皮がズルむけになりました〉
指の先はひどく腫れ上がっているようだ。痛かっただろうな。厨房の中で汗を拭きふき下水の掃除をする。誰も見ていない。それでも黙々と掃除をする。フタが突然閉まり指を挟む。慌てて引き抜いた拍子に皮がむけた。
「いたっ!」
声を上げても誰もいない。痛みと照れ笑だけが残る。静かに時間が過ぎてゆく。

〈気ぃつけや〉
メッセージを打ちながらドラちゃんがジグソーパズルに向き合っている姿を想像した。
丸めた背中の後ろ姿しか思い浮かばなかった。Bluesだな。
〈長いトンネルやね。頑張ってね〉
そうとしか言えない無力感が残った。

オリンピックよりも

休業終了の日付曜日だけが更新されたお知らせ

6月1日、たこ入道の玄関脇に張り出された休業のお知らせは、その終了期日の部分だけが上書きされていた。
北海道、東京、愛知、京都、大阪、兵庫、岡山、広島、福岡の9都府県に発出されていた緊急事態宣言は、5月31日が解除予定だったが6月20日まで延長された。報道によると感染拡大の状況を見れば、延長はやむを得ないというのが一般的な受け止めらしい。しかし……。
4月12日からはまん延防止等重点措置による時短要請を受けての休業だった。それが4月25日に緊急事態宣言になり、当初は5月17日に解除予定だった。それが31日まで延長され、さらに6月20日まで再延長されたのだ。たこ入道の休業は4月12日以降2カ月以上に及ぶことになった。

ガラス越しに見える起き看板がさみしい

「いちから書き直す気力もないわなぁ……」
店先で足を止めた2人連れが、終了予定期日だけをその上から更新した張り紙を見ながら話していた。
「なんとなく、店主たちの疲弊を感じさせますね……」
「仕方ないな。しかし、なんで飲食店ばっかり」
国は「これまで以上に強い集中的な対策が必要」としているが、百貨店、アミューズメント施設、演劇、映画、ライブ、スポーツイベントなどは規制や制限が緩和された。何がどうあってもオリンピックを開催するぞという姿勢の表れだと受け取る人も多い。「強い集中的な対策」が講じられているのは飲食業、特に酒類の提供を伴う飲食業が中心だ。
「なんか、酒場が諸悪の根源やと言うてるみたいやね」
「言うてるみたいと違って、間違いなくそう言うてるな」
「それで協力金とか給付金とかわずかな補償で時短せえ、休め言われてもな」
「やってられんよね……」

人も車も見えない

木屋町ではこの日、至る所で同じような貼り紙が目についた。
「俺の馴染みの店も、5月31日までやったら何とかって頑張ってたけど、再延長が決まってとうとう休むことにしたらしい」
普段の木屋町なら酒や食材、氷を配達する車がひっきりなしに行き来する時間だが、車は少ない。もちろん人も少ない。
「オリンピックなんてどうでもいいな。この、木屋町の状況をなんとかしないと」
「ですよねえ。オリンピックなんて、いっときのことですもんね。この街の状況、飲食業の苦境、この問題の方が大切やと思うけどね」
「木屋町の消えた京都なんか……」
空は晴れていた。この日京都は31.2℃を記録した。

赤い風船は青い空を目指せるだろうか。写真はすべて内村育弘撮影

月並みだけど、頑張れ!

電話をかけるドラちゃん

日曜日の午後だった。どこへ出かけるでもなく、暇なからだを持て余していた。原稿に向かおうとするが、気分が乗らず窓を伝い落ちる雨粒をぼうっと眺めていた。
「わがみよにふるながめせしまに……、か」
梅雨入りしてから、ずっと雨は降り続いている。コロナといい、雨といい、鬱陶しい毎日が果てしなく続いていた。からだは腐りそうだけど、俺なんかはましなほうだと自分に言い聞かせる。親しい酒場の連中はどうしているだろうか。元気だろうか。頑張っているだろうか。辛いだろうな。いろんなことを思いながら一人ひとり顔を思い浮かべてみる。ダメだ、テンションは下がる一方だ。

休業を告げる張り紙。閉ざされた入り口  撮影/内村育弘

携帯が鳴った。
「ドラですぅ」
電話の向こうのドラちゃんは明らかに笑っていた。
元気にしているかとたずねると、ふっ、と小さなため息をついて言った。
「うん、まあ、クラなってもしゃあないしね。元気でやってるわ」
毎日店に行ってる? ドラちゃんは店が休業になってからも毎日出勤して、いつ営業を再開してもいいように掃除を続けていた。
「いや、1日おきになってる。もう掃除するところないしね」
緊急事態宣言が延長され、休業も5月31日まで延長になった。毎日掃除を続けても、もう手をつけるところがないというのも仕方のないことだ。ピカピカの店内を思い浮かべた。客のいない店内で、ドラちゃんはいつものジャージを着て立ち尽くしていた。

黙々と働くドラちゃん

「1日おきに行って、換気と排水口の掃除してますわ……」
緊急事態宣言が月末に延長されると、休業も再三の延長になるのか?
「わからんけどね。延長になったら、多分ね」
けど、長いなあ……。
「長いね。しゃあないね」
しゃあないね、仕方がない、どうにもならない、頑張らないと……。これは酒場の経営者が頻繁に口にすることだ。慣れっこになったわけではないだろうが、それも冷静に、ゆっくり咀嚼するように口にするのだ。

人気のない先斗町

しんどいやろうけど、頑張ってね。そう言うのが精一杯だった。電話を切った後ドラちゃんはどんな顔をするのだろうと考えてみた。が、後ろ姿しか思い浮かばなかった。
その後ろ姿は、人気のない木屋町、先斗町の風景に重なっていった。
月並みだけど、頑張れ!ドラちゃん。頑張れ!みんな。

人気のない祇園

酒に酔い、人生に酔う

闇の中にポツンと……。裏寺町から見える冨久家の看板。

たこ入道のある木屋町は、酒を飲むようになって、そう、ずっと大人になってから彷徨くようになった場所だが、河原町を隔てた辺りは子どもの頃の私にとっては、遊び場と言ってもいいような場所だった。
そのクランク型の路地は、賑やかな表の新京極と少々鄙びた裏寺をつなぐ通路だった。新京極には着飾った買い物客や旅行者が蠢くように集まり、裏寺にはいかにも地元民だという顔をしたおばちゃんやおっちゃんが普段着で行き来していた。表と裏と言えばいいかもしれない。私は小学校に上がる頃からそのクランク路地を走り抜けて、その辺りを遊びまわっていた。私の心の奥底にあるセピアがかった京都の風景だ。

一目見て京都とわかる店構え

クランク路地の裏寺側の出口には、3人のおばちゃんが営っていた小春というお好み焼き屋、そこから南に蛸薬師通りを越えると中ぼて、三吉、たつみなどというホルモン屋、酒場が立ち並び、曲がり角をぐるっと回ると静という縄のれんがあり、新京極通りまで出るとスタンドというハイカラな酒場があった。子ども心にいつか入ってみたいなどと思っていたが、それから60年以上経ったいま、どの店にもでかい顔をして飲みに入るようになったけれど、そのうちの何軒かは消えてなくなった。そんなことが私の京都への思いを、懐かしくもありさみしくもあるような、そんなものにしている。それをきっと郷愁と言うのだろう。

今は感染防止のためのアクリル版や透明カーテンが

そのクランク路地に話をもどす。そのちょうど真ん中に1軒の酒場があった。冨久家というその酒場は、小さな犬やらいと格子窓がいかにも京都らしく、小さな引き戸に暖簾と提灯をひとつ掛けていた。昔からあったかどうか、夕方5時を回ると小さな電飾看板に灯が点る。すべてが静かで自分の在り様を一切曲げず、どちらかと言えば客を選ぶ、そんな佇まいだった。酒を飲むようになっても、その店だけは入り難かった。夏の日には引き戸を半分ほど開け放っていたが、立ち止まり中の様子をうかがってはやめる、そんなことを繰り返していた。

3代目女将植村智子さん

ところが2年ほど前に出入りが叶うようになった。俗っぽく言うと、憧れの店にようやく入れたのだ。それは思い描いたままの店だった。いまの女将植村智子さんは3代目。70年以上営業しているという。カウンターだけの、7、8人で満席になる小体な店だ。カウンターの上には鉢や皿に盛られたおばんざいが並ぶ。他にもその日の酒肴は短冊にして張り出されている。音楽はない。客同士、客と女将の会話だけが空間に響く。客は昔からの常連も多いが、若い一見客もいる。思い思いに酒と会話と時間を楽しんでいる。客を選ぶ、人を拒むなどということは一切ない。たとえ初めてであっても、古参客が相手をしてくれて、すぐに馴染める。そういう私もそうだった。2回目にはすでにでかい顔をしてカウンターに着いていたように思う。

若い彼女も主役の1人だ

月曜日にしか来ないワイドショーばりに事情通のおばちゃん。土曜日に必ず来る製麺会社のおじさん。少々飲みすぎて時々転ける大学の先生。派手目のペアルックで現れる仲良しご夫婦。奥さんと女将のおしゃべりに微笑みながら黙って耳を傾ける旦那さん。絶対に酔わないわよオーラを出しながら酔い続けるお茶のセンセ……。個性あふれる酔客たちがそれぞれの時間の主役をつとめる。それを黙って眺めていると、そのドラマの背景をもっと深く知りたいという欲求に駆られる。人間喜劇と言えばいいのだろうか、ここは人間の面白さと人生の豊かさを教えてくれる劇場のような酒場なのだ。人の人生は人を酔わせる。私もここで酒と酔客の人生に酔いしれるのだ。

万願寺とうがらしとじゃこ かぼちゃ
ピーマン肉詰め ネギたっぷりナスの揚げ浸し 酒は朝日山を常温で
からし豆腐

京都府への緊急事態宣言発出に伴う営業自粛要請を受け、冨久家は現在営業休止中です。

Blues ‘A Minor

‘A Barは、木屋町と先斗町をつなぐトンネルのような13番路地の木屋町側の入り口近くにある。
4月7日だったか、その夜、街は静まり返っていた。新型コロナウイルスの感染拡大防止のための緊急事態宣言は解除されたものの、営業時間の短縮要請という〈規制〉を受け、ほとんどの店は午後9時で営業を終える。酒類のラストオーダーは8時半までだ。早い時間から店を開けている酒場でも苦しいのに、営業が8時からだという‘A Barはなおさらだろうなと思いながら、8時ちょうどにドアを引いた。

もちろんその夜最初の客だ。バランタインの水割りをオーダーし、バーテンダー氏と言葉を交わす。彼との付き合いは昨年(’20年)の晩夏、僕の写真展を訪れてくれたことにはじまる。写真をじっくり見た後で僕の拙いエッセイ集を選んでくれた。その折に本の話や旅の話をし、必ず店を覗くと約束したのだが、訪れたのはその夜がはじめてだった。

彼は静かな口調で、この1年、ほんとうに苦しかったと振り返った。新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、緊急事態宣言が繰り返され、営業時間の短縮が求められた。休業したり、時間短縮をしたり、それなりに工夫や努力を重ねてきたが、もう限界だ。最後は住まいを処分し、店で寝泊りをしながら耐えたが、それでも状況はよくならなかった。
「うちは8時オープンです。夜9時までなら30分しかない。それでは営業できないですね」
もし、まん延防止等重点措置が適用されれば営業時間は午後8時までとなる。営業は不可能だ。〈時短要請〉などではない、営業するなと言っているのだ。

彼は言った。
「4月19日で9周年なのですが、その日に店を閉めます」
その表情は淡々としていたが、胸の内には言葉にできないほどの悔しさが秘められているのではないかと思った。店を拠点にして様々なイベントやボランティア活動に関わってきたと聞いた。それもできなくなるのだ。さぞ残念だろうと。
「せめてキリのいい10周年まで続けたかったでしょう?」
「そうですね。でも仕方ないですね」
「これからどうするの?」

横浜で年老いた父親が一人暮らしをしているという。しばらくはそこに身を寄せると。
「父のところは狭いですからね。僕は荷物が多いですから、早く次を探して引っ越ししないと大変なのですが」
彼は小さく笑いながら言った。
「次って?」
「熱海あたりで新しい店を開こうかと思っています」
苦しい状況にあっても、決して楽な道は選ばない。密かな決意があるように思った。

バランタインでラスティネイルをオーダーした。おそらく僕は二度とこの店を訪れることはないだろう。その寂しさ、辛さをなんとかしたいと思ったのだ。ラスティネイルのカクテル言葉は「私の苦痛を和らげる」だ。ほんとうに辛いのは彼の方なのに。
「どこに行っても、元気で」
店を出る時そう言うのが精一杯だった。
静まり返った街。聞こえるはずのないブルースが耳にまとわりついて離れなかった。

ドラちゃんの趣味

たこ入道に何をしに行くか。そんなことを人にたずねたら、おまえはアホかと笑われるに決まってる。そうだ、たこ入道には酒を飲みに行くに決まっている。そんなわかりきったことをたずねているのではない。そう思うおまえがアホかと言い返さなければならない。
それは、酒を飲むにもなぜたこ入道を選ぶのかと聞き直したほうがいいかもしれないな。
たとえば僕の場合だが、ドラちゃんと話に行くのだ。そう、おおよその場合僕はその店のだれかと話をしに行くと言っていいだろう。それが店のだれかであることも、常連のお客さんであることも、相手はそれぞれの店で変わることはあっても、まずだれかと話すために酒を飲むのだ。

それがたこ入道の場合、ドラちゃんなのだ。「なんえ、うちとちゃうのん!?」と美智子ママから横やりが入りそうだが、そうなのだ。あるいは「ドラちゃんは無口やから、話になりますか?」と訝る人もいるだろう。ここだけの話だが、ああ見えて(どう見えるっちゅうねん)ドラちゃんは話があうとけっこう話し込む。趣味が合うとなおさらだ。
ドラちゃんと僕には共通の趣味がある。第一に読書だ。ドラちゃんはよく本を読む。ドラちゃんのバッグには必ず、取り出しやすいところに本を入れて持ち歩いている。このあいだ見かけた時は、タイトルこそ見えなかったけど、ずいぶん読み込んで表紙カバーがボロボロになった本が入っていた。

ドラちゃんと僕が共通で読んでいるもの。それは池波正太郎の一連の作品、とりわけ「鬼平犯科帳」だ。どのエピソードがいちばん好きかとか、密偵は誰がいちばんかっこいいとか、盗賊の中でいちばん許せないやつは誰かなどと、カウンターを挟んでボソボソと話をする。いつかそんな話をしていたところに、大滝の五郎蔵親分を演じていた故綿引勝彦さんが飛び込んできて盛り上がったことがある。あの時は「密偵たちの宴」の話だったっけ。忘れられない夜だ。

第二は阪神タイガースだ。シーズンになるとゲームのある日は必ずラジオ中継がかかっている。ドラちゃんは仕事しながらしっかり聞いている。しかし、ああだこうだと評論家めいたことは言わない。時々「福本の解説はおもろいなあ」などとゲーム本線以外のところでつぶやいたりする。とても静かだが、それだから人一倍の阪神愛を感じるのだ。

第三は、これはつい最近知ったことなのだが、スヌーピー大好きおじさんということだ。生誕70周年を迎えたスヌーピーの60年くらいを一緒に育ってきたわけだが、どうやらドラちゃんもそうらしい。数日前に会ったときスヌーピーの話になったのだが、ドラちゃんはペパーミント・パティがどうやら好きらしいが、なんとスヌーピーに登場するすべてのキャラクターの名前と性格が頭の中にインプットされているのだ。ちょっとびっくりしたな。

ああやって、無口でクールを装ってはいるけれど、ドラちゃん、なかなかやるよね。だから僕は、ドラちゃんと話すためにたこ入道に飲みに行くのだ。

働くことは幸せ

営業再開の日。久しぶりに看板に灯が入った

長いトンネルだった。ほんとうに先の見えない日々を、どれほどの人が過ごしていただろう。新型コロナウイルスとのせめぎあいのような日々だ。特に都市部の飲食業に携わる人にとっては苦しい日々だったに違いない。

閉めたままの店も多い

たこ入道にしても、去年12月21日からは営業時間の短縮要請を受けて夜9時までの営業とし、年が明けて1月14日京都府にも緊急事態宣言が発出されると解除予定の2月7日までは休業を決めた。しかし状況は改善せず緊急事態宣言は3月7日まで延長され、たこ入道の再開も見送られたのだ。そうしてようやく、状況改善の兆しを受けて2月28日に宣言解除が決まると、翌3月1日たこ入道はひと月半ぶりに営業を再開した。営業再開とはいえ、営業は以前同様夜9時まで。酒類の提供は夜8時までだ。

黙々とだしを引くドラちゃん

早速美智子ママとドラちゃんの顔を見に出かけた。京都の街はどこも人が少なかった。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、新型コロナウイルスの感染が収束したわけではない。変異種という新たな脅威、恐怖もある。街に出るのを極力避けようとする思いは強いだろう。錦市場を抜け、河原町を回り木屋町に向かった。最悪時の状況は知らない。しかし、ほんとうにこれが観光都市京都かと思わざるを得ない風景だった。気をぬくと第4波がくる、リバウンドするんじゃないかという、心の奥底を流れる恐怖感が渦を巻いている。これがニューノーマル、新しい生活様式というやつなのだろうか。

人通りの少ない錦市場
客のいないスタンド
人もまばらな蛸薬師通

開店の5時ちょうどに店の前に着いた。懐かしい風景だ。暖簾を割って中に入る。
「いらっしゃい!」
ドラちゃんがにこやかに迎えてくれた。何人かの先客がにこやかにくつろいでいた。カウンターはピカピカに磨き上げられている。店内は隅々まで掃除が行き届いていた。いつ営業再開してもいいように準備を整えていたようだ。
「営業再開おめでとうやね」と言うとドラちゃんは黙って笑った。
この日をどれだけ待ちわびていたか、その笑顔を見ただけでわかった。
美智子ママもいつになく愛想がいいし、言葉数も多い。高揚感が伝わってくる。ほんとうによかったと思った。

愛想よく話し相手になる美智子ママ

酔客の一人が教えてくれた。ドラちゃんは休業中も定休日を除く毎日、店に出勤していたという。客を迎えるわけではない。客を迎えるための準備を毎日欠かさなかったということだ。
「毎日出勤して、掃除して鍋釜食器を磨いてた?」と聞くと、ドラちゃんは笑ってうなずいた。
「店は休業やけど、うちらは休日やのうて仕事あるさかいな」美智子ママも笑いながら言った。
勘違いしていた。店が休みなら、ママもドラちゃんも休みだと。とんでもなかった。毎日出勤してちゃんと仕事をしていたのだ。

いつ見ても美しい風景

「補償金、給付金をもらって、飲食店はいいじゃないか」などという人がいる。そういう人は働けることの幸せを知らない人じゃないだろうか。働かないで金儲けだけしたいと思っているのではないだろうか。ドラちゃんやママにとって、働くことは幸せだし、どんな形であれ仕事を奪われることは苦痛でしかない。そうして僕らは、たこ入道の2人の仕事に身を委ね一息つくことが最上の喜びであり、幸せなんだ。飲食業だけが感染源だと言うような人がいる。そういう人はたこ入道のような店で味わえる幸せも知らないのだ。そんな当たり前のことが見えなくなっていた。そんな当たり前のことを気づかせてくれたのが新型コロナウイルスだったことはとても皮肉なことだが、この幸せを後戻りさせてはならない。そう強く思ってたこ入道を後にした。

働く幸せが漂うカウンター